川村法子の編集ノート



About Solitude Point

 萩谷茂さんの写真展が京セラコンタックスサロンで開催されることになった。 黒の濃淡で再現された、荒涼とした風景の写真は静かに私の心に沁みた。 見知らぬ土地を興味本位で歩いていたら迷いこんでしまった所みたいな写真が並んでいる。 そこにはコンセプトのようなものは見当たらず、撮影場所の特定もなされていない。 そこは、正義とも悪とも二分されていない静かなポイントの集積のように思える。 その世界を覆っている静寂は何かの支配とは無縁に、ただそのようにしてそこに在るのだ。 そこには、私たちが意識して排除しなくてはいけないものは何もないのだという気がして、 Solitudeな世界はささくれた自分の心をそっとなだめてくれる。

 画面に動きを与えるさざ波が、墨の薫りを立ち上らせては、冷たいはずの冬の海に暖かみを与える。 そのポイントでは冷たさと暖かみが入れ替わり、晴天と雨天が入れ替わることはあるとしても、 正と負が入れ替わることも、光と影が入れ替わってしまうこともない穏やかな場所だ。 対立を求める者の声はまだその場所を侵食していないのだろうか。 その前に立つと、あらゆる論理とシステムからゆっくりと開放されていく心地がする。 それは理想的に疲労した身体をジャストなタイミングで寝心地のよいベッドに横たえた時に似ている。 ただそこにある海を眺めて、そこにある砂に触れて、そこにある風に吹かれてみたい。 私はそこにそのようにして、浮かんでいたのであろう雲の流れに思いを馳せた。

 縁あって、今回の写真展"Solitude Point"をお手伝いさせていただいた。 日常ではスーパービジネスマンの萩谷さんには、どうしても東京の現場での、物質的な手配に回す時間が、 十分でなかったからというのがその理由のひとつ。 もうひとつには、現実を生きる萩谷茂という人間が、アートするShigeru Hagiyaになる行程を覗き見してみたいという好奇心が、そうすることを後押しした。

 先に書いたように私は、Solitude Pointの世界に、タイトルとは裏腹の暖かみのある世界を見たのだけれど、その世界にたどり着く以前の『萩谷茂』を想像したくもあって、写真展会場に、その想像の萩谷茂の世界を文章で構築して展示させていただいた。 この写真展にお運びいただける皆様には、そのような雜文は邪魔であろうことはよく分かりながら、どうにも書かずにはいられなかったというのが正直な気持だ。

 写真も展示も素晴らしいのでサロンのソファでひとやすみしてゆっくりおくつろぎいただければ幸いです。

2008.2.23 川村法子

萩谷 茂 写真展「Solitude Point」2008.2.27 - 3.04
京セラ コンタックスサロン東京



展覧会の後に

美しいクリスマスの装飾が溢れる銀座で、3回目の写真展を開いた。
冷え込みの厳しかった晩秋のひとときを、慈愛に満ちた光で包んでくれた人たちを、私は 限りない愛しさをもって懐かしんでいる。
今では、それらは過去に、分ち難い過去のものとなった。
都会のビルの谷間にも、光は豊潤に射し込んで、私たちの周辺を輝きに満ちた色彩へと変えた。刻一刻と移り変わる光が、ギャラリーを通り過ぎて行ったけれど、いずれの瞬間も現実のものとして思い出すことが出来ない。私の身体を通過して生まれでたエナジー、それは出現して消え去って行った。
そう、夢のあとのように、何もかもが消滅した。

写真展の準備の最中においては、あたかも解けない紐の結び目を必死で解こうとしているような苦痛にさいなまされていた。そのようなとき、高ぶり荒れ狂う感情を押さえようと躍起になっている自分自身を発見して驚いた。苦痛から抜け出す唯一の方法、それは多分その苦痛を味わい尽すことしかないように思える。
私たちはおそらくロゴスの鎧で身を固めているのではないか。
冷静であるということに、いかほどの価値があるのだろうか。
泣く、叫ぶといった感情表現をどうして未成熟なものとして封じ込める必要があるだろうか。
私は感情を抑制することをますます止めにした。


流れ、消え去るべきすべてのもの
とらええないものを
ふせぐような壁は立てまいとして
囲い込まれない いつも自由な自己を夢見るけれど
別の思いにもとらわれる、
庇護されていないものに人を庇護することはできず
むきだしにされたものは 他者をもさらすということ、
広く開かれたドアは 閉ざすことができなければ
なにも意味をもたない。

ほんとうの安息所をつくる人は自由ではない
しっかり支え、守り、根を下ろし、深い井戸を掘る、
安息所の人の愛がどのようであっても
守る壁がなくては自由はない。
行ったり来たりする翼を心に描くとき
見えてくるのは家、そして広く開かれた窓。

「安息所について」メイ・サートン

( 12月の東京にて   川村法子 )



KOMPLEX

6月の雨は好き。やがて来る夏が待ち遠しいのと、雨に洗われた後の微かな樹木の匂いが心を沈めてくれるから。

けむるような霧雨の夜には、東京のエネルギーの放出音も天空に吸い込まれていく。 静かな夜に、ごくちいさな音量でピアノソナタを流すとき、室内の空気がゆっくりと動き始める。それは、右回りの回転を繰り返している。
その流れの中にあって、アナログの時計針は規則正しく秒針を進める。
仕事の手を休めて一杯のコーヒーを楽しむとき、マグカップを握る掌やそれを置く膝から温もりが全身に広がっていくのを感じる。
11月に予定している写真展の準備にかかりながら、心は焦ったり弛んだり、喜んだりすれば悲しんだりもしている。その心の動きを、私は予測することはできず、あるいは正確には思い出すこともできない。

写真展の準備というのは、私の場合、そのほとんどを思考するということに費やしている。思考というのが適切でなければ、むしろ自分の感情をなぞるという言い方のほうが合っているのかもしれない。私の写真は、私の日常の中で撮り続けたものにすぎない。
そこには明確なテーマやコンセプトは存在しないので、展示に向けて、自分の心が考えたこと、心に考えさせた社会的状況などを、ひたすら反芻しつつ先へと進まなければならない。私はちいさな存在だけれども、生き生きと働く心を持っている。その心は、見慣れた街の地上の暗い影の部分を歩いている時にも、慰めとなる対象物へと私を誘う。
それは、楠木のちいさく涼しげな葉が風にそよぐのに見とれたり、青空の眩しさへ目を向けるようにと私を動かしてくれるのだ。

一日の大半を、私は無言で何かと語り合って過ごす。窓枠で切り取られたちいさな世界にも見ごたえのあるドラマが起こっている。

雨に揺れる梢の美しい動きを見ていると、ベランダの餌場に濡れそぼった小鳥が飛んでくる。その小刻みな動きの愛らしさに見とれていると、雨足が強まって梢の動きが変化していく。大きさの不揃いなプランタには、気まぐれで植えた植物が育ってもいる。何よりも成長が楽しみなのはクヌギ。それは、山から持ち帰った土の中から偶然に誕生したもの。しなやかな枝振りが美しく感じられて見飽きることがない。

秋の終わりに、浅く土に埋めて、息子が集めた宝物のように美しい落葉をかぶせた「どんぐり」も芽を出し30cmの高さに成長している。そのちいさな木に目を向けると、いつもそこに息子のちいさな手が見える。両掌いっぱいに乗せた紅葉した落葉。7歳の彼は、何を考え、何を思いながら、あのとき落葉を拾い集めたのか。それを母である私は想像することしかできないけれど。私の1日は、収入を得るための労働と、子どもを育てるための家事労働と、創作のための思索という大まかな3つの円が交差しあって過ぎてゆく。そのような時間の中にあって、「生命を支えるものとは何か」そして「生物の中でも人間に特有のものとは何か」という思索の網羅の循環の中へと還ってゆく。

( 6月の雨の夜に 川村法子 )



満開の花の下で

2002年彼岸の頃、東京では桜が満開になりました。

3月末までにという仕事をかかえて、はらはらする気持で籠っていました。 ようやく、お彼岸の墓参りを口実に、高輪と新宿で満開の花に出会うことができました。 すでに若葉も現れ始めた桜の下で、風が花を揺らすのを楽しみました。
僧侶の読経が本堂より聞こえてくるのが風情もあり、その美しい唱和に、ふと夢を見ているような気持になりました。読経の音楽的な美しさを背後に空を仰いでいると、その花弁が静かに地上へと降りてくるのでした。

私たちの生が死を条件として此処にあるように、止まらずに散りゆく花を眺めていました。それにしても、私としては満開の花の下で、一人のんきに浮かれていることが嬉しくてたまらなかったのです。


遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ

( 2002.4.07 川村法子 )


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