COLLABORATION WORD

大平一枝


この日、この一瞬。
ここにこんな木があったと誰が知りましょう。

細い枝は蔓のようにからみつき
かさついた木肌からは、いつか折れた枝が
朽ちた根本をあらわにし、まるで両性具有者のように
宇宙のどこにも所属せず、雑木林にすっくと。
四方八方に伸びた細い枝からは、新芽が芽吹き、
誰にも気づかれず、ひっそり、しかししっかり
生命を継続させている。
ああ、そうだ。カメラは存在の記憶装置、生命の記憶装置。
木から語りかけられた言葉の残像を
デジタルの粒子がすくいとる。
不在の中の存在を。
静寂の中の饒舌を。

この日、この一瞬。
ここにこんな木があったと誰が知りましょう。


「花はいやましに見えし也。これまことの花なるが故に、
能も枝葉もすくなく老木になるまで花は散らで残りしなり」(花伝書)
世阿弥は、人生の最後に咲いた花こそまことの花だと、繰り返し説いた。
たとえば白洲正子は、執拗にその言葉の真意を追い求め、
晩年は能の鑑賞に没頭したという。
私はこの写真を見た瞬間、どうしてか、友枝喜久夫という能の名手を書いた
『老木の花』という白洲の短い随筆を思い出した。

枯れ果て、苔むし、今にも土に同化しそうな、
大きくも小さくもないこの木の根の、なんという品格。
nature of spirit=精神の本性、真の在り方。
そういうものが、確かに映し出されているから、
私はこの写真の前で動けなくなるし、少し泣きたくもなるんだろう。


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