Requiem


Requiem

『記憶の海への風となって物語になりました』(H氏の手紙より抜粋)

 そこいらは、僕のホームグランド...って言っても往年のね。いやあ、住まいじゃなくて、事務所をこの辺に持っていたものだから、ちょこまかと飲み歩いてみたり。夫の友人は、濃紺のストローハットのつばに軽く手を添えて微笑んだ。嫌味のない自然な笑顔だな、私は思った。すると、彼は真っ赤なタイトなジーンズで、すうっと通りを横切るとタクシーをつかまえた。
 さあ、お先にどうぞ、今は歩くには暑すぎるでしょう。言葉には、関西地方のやんわりとした抑揚が聞き取れる。タクシーの座席はひんやりとして心地よく、私はその抑揚に、ずっと昔に別れたままの京都の親戚たちを思い浮かべた。京都のおじさんは、またあそびに来てや....と私の肩に手を置くと、何度もうなずきながら、振り向き振り向き亡父の葬儀場をあとにした。

 そう、そこの交番のところを入って、うんそこで止めて。着きましたよ、彼は車止めの脇の細い石畳の道を指差して先に歩き始めた。小道の脇には、わざと刈り残した夏草が銀色に輝きながら、ゆらゆらと熱風に傾いでいた。店の入り口には、古いけれど、立派な門柱と観音開きのドアがあって、よく磨かれた真鍮のノブに、ちいさく2人の姿が写りこんで見えた。
 どうも、ようやく来たよ、久しぶりだね。古風なカフェの女給さん姿のホール長がきびきびと私たちを迎え入れてくれた。玄関先には伊万里焼きの猫が寝そべっている。「こちらで御用意させていただきました」店の中央に位置するホールの、全体が見渡せるテーブルに私たちは案内された。さあ、そちらに掛けて、中庭が見渡せる席に。いやあ、今日は遅めの昼食なので軽い方のコースを頼んであるから、何か足してもらってもいいし...そう言いながら、彼はお酒のリストに目を通した。
 何が良いかな、僕は白ワインをグラスで貰おうと思うけど。
 その懐石料理を食べさせる店には、なぜかスペインのお酒があって、こんな風な炎天下の平日の東京で、どこか古風なひんやりとした木造のレストランでサングリアが飲めるなんて、なんだかおとぎ話みたいで楽しいわね、と私が言うと、おとぎ話なんて、おもしろいことを言うなあ、と彼はちょっとはにかむみたいに小首を傾げた。
 じゃあさ、そのサングリアっていうの2つ貰おうか、うん、僕にも同じのね。小振りで、微かにスモーキーなグラスは、カジュアルでサングリアにぴったりだった。
 『乾杯』ふたつのグラスの中でクラッシュされた氷が揺れた。

 それでさ、僕はさ、こうなったからには付き合いを限定することにしたわけ。闘病生活をしている彼は、やはり身体もきついし神経も参るから、金輪際、自分に攻撃的な人々とは付き合わないことにした。それは自分に残された限りある時間を有効に使いたいからだと説明した。そのような彼の選考によると、私の夫は、以後付き合っても良い人リストの上位に入ったらしい。
 いったいぜんたいどういう理由で、具体的には?と私が尋ねると、彼は例の子供のような瞳でまっすぐにこちらを見ると、語り始めた。
 うん、ひとつには、出会って知り合ってから、いろんな場面でさ、彼は僕の味方をしてくれるわけ。例外なくさ。応援もしてくれるわけさ...いつの間にか、彼は透明な薄いガラスのフラスコに入った冷酒を飲んでいた。手酌で。
 ふうん、少し内容が抽象的で分からないけど、まあいいわ、具体的な意味なんて、ここで聞いたとしても、そんなことには何の意味も見つけられないかもしれないものね。
 それにしても、そこの料理は、変な言い方かもしれないけど、どれも家庭的で味わい深い懐石料理だった。鮒の甘露煮とそれに添えられた生姜の薄切りにもしっかりと甘辛さが沁みている。器は趣味が良いと言っても、豪華すぎることはなくて、持ちやすくいずれも扱いが楽そうな品ばかりだった。白味噌仕立ての留め腕には、ほのかな甘みが加えられていて、一風変わった白味噌クリームシチューのような味わいだった。

   私の席からは、回廊風にしつらえた小部屋が見渡せて、その小部屋の更に奥には、井戸のある中庭が望めた。井戸の周辺には、ゆらゆらと風にしなぐ低木の木立があって、時折銀色に羽をきらめかせながら、トンボが飛び交っていた。
 こんなにトンボが沢山いるなんて、ここが東京で、しかも自分の生れ育った街のすぐ近くだなんて、なんだか長い夢を見ているようだわ。
 それにしても、いつも昨日のことを思い出すときの感じって何なのかしら。例えば、子供時代のことを考えようとすると、決まって自分の姿形は曖昧になるし、そのときどきの断片だけが、記憶の片鱗になって、脳に落ち込んで来て再生されてる感じがするの。例えばね、子供時代の夏の記憶っていうのは、『夏の匂い』に触発されて蘇るんだけどね。
 彼は、食後酒の入った切り子のワイングラスを目の高さまで持ち上げると、口を付けずにテーブルに置き直した。
 夏の匂いかぁ、そうね、冬の匂いとはきっとあまり言わないよね。うん、夏の匂いか..彼は、やがてゆっくりと自分の幸せだった幼年時代の話を聞かせてくれた。郷里の両親はすでに亡く、縁戚の人々との付き合いも途絶えて久しく、弟がひとり残っているから、夏にその場所をもういちど訪れてみたいと言った。弟はさ、僕と違って出来がいいんだ、彼はそう言って故郷の話を終わらせた。

 私たちは、てきとうに選ばせた食後酒を飲みながら、思い思いに遠い昔の日々を語り合った。私の子供時代に登場する人々も、今はすでにこの世の人ではなくなっていて、私たちは昔日だけを肴に2杯目の食後酒に酔いしれていた。
 まあ、いいわよ、きっと外は考えられない暑さだしね、ちょこっと太陽にあたれば、アルコールなんてたちまち蒸発していくだろうし、時間だって十分あるしね。

 彼が支払いを済ませている間、私は商品の小間物を並べてある飾り棚を見ていた。目利きの店主が集めた品々は、どれも小意気な洒落た日用品というものばかり、そのとき『背杓』と命名された、茶道具のような『孫の手』が目に止まった。おもしろいねぇ!彼はそう言うと、めずらしく弾けるような笑い声をたてた。
 観音開きの扉を開けてもらうと真夏の陽光が飛び込んできた。あまりの眩しさに2人はそれぞれの帽子をかぶり直して、ゆっくりと石段を降りた。大通りのアスファルトはからからに乾いていて、あたりは夏の匂いがたちこめていた。

 ここは今は美術館なんだけど、もとはN氏の邸宅で、僕はその頃そこの社長に世話になっていて、仕事を貰ったりしてたわけ、やがて社長が亡くなって僕は弔問にここに来て、あっちの奥の間に通されて、それは広大なお屋敷でね、驚いたなあ。私たちは、次回の展示まで閉館されている美術館の門の前でしばらく立ち止まって話をした。
 通りの向こうには、カテドラル教会の屋根が碧色の空の中に見えていた。

 コンクリートで造られた教会の内部は、ひんやりとして気持ちが良かった。小聖堂から大聖堂に続く経路沿いには、納骨所があって壁面に飾られた沢山の人々のカラー写真の瞳が2人を見て微笑んでいた。大聖堂の中には、若い男性が2人腰かけて静かに語り合っていた。その傍らで、オルガンの調教が老齢の男性によって続けられていた。調教師は、やや慇懃な口調で若者に静かに会話をするようにと諭した。彼は、苦笑いを浮かべながら、1曲弾いてくれたらいいのになあ、まさか演奏できないってわけじゃあるまいし、と呟いた。 教会の天井の明かり取りからは真夏の光が十字架の下へも惜しみなく注がれていた。彼が立ち上がったので、私は聖水に指を浸すと大急ぎで十字を切って聖堂を後にした。

 次に、私たちは酔い覚ましの紅茶を飲もうと、すぐ近くのフォーシーズンズホテルへ歩いた。 ホテルの一角にある上品なギャラリーでは、フローランス*ミアイユ展が開催されていた。
 これはおもしろそうだね、と意見が一致して2人は中に入って作品に見入った。
 少しすると、美しく身支度を整えた責任者が、作家と作品について大まかな説明をしてくれた。フローランスの作品に、フランスのある村での夏祭りを主題にした絵があった。複数の絵によって構成されていたが、私たちはその神話的な世界に引き込まれていった。

   ようやく目当てのホテルのロビーに着くと甘い百合の花の香りが漂っていた。
 そこは心地よい分量の光に陰影を造られた申し分のない空間だった。フロントの前面では、身なりの良い母娘が3人で記念写真におさまっていた。
 美しい年頃の娘2人に囲まれてなお見劣りのしない中年の婦人は、いずれにせよ、夏の何日かをこのような高級な場所で過ごすことの出来る恵まれた人々の1人には違いない。
 カフェに続く階段の踊り場には、幾株ものスパティフィラムが見事な白い花をつけて、微かに揺らいでいた。
 それらの花を見ていると、ここが東京のホテルの中とは信じられず、つい今しがた見たフローランスの絵の中に迷い込んだような気分だった。カフェの絨毯は上質で靴の裏からも心地よさを感じることができた。 ポットに入った紅茶は色も香りもすばらしくて、私たちは黙って飲みほした。

 その日2008年7月23日の昼下がり、目白の片隅で私たちはひそやかな時間を共有した。それから3ヶ月後、10月23日の昼下がりに彼は近くの病院で息をひきとった。その時間、私は自分の誕生日に開かれるチェロのコンサートチケットを購入していた。
 ちょっと遅かったね、病室に到着すると、たった今...と告げられた。


2008.11.23 川村法子


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