Noriko's Impression from DAIGA's World


「ひまわり」

私は、ひまわりの花を日本のごく限られた場所(東京をふくめて)でしか見たことが ない。このダイガの作品「ひまわり」の実物は、私も見たのだった。
山頂へむかう農道の緩やかなカ−ブをすぎ視界がひらけた瞬間に、その巨大なひまわ りはたたずんでいた。私の見たかぎりもっとも巨大なひまわりであった。
すでに秋の気配漂う山をおりる準備にかかっていた頃、そのひまわりも重い頭を垂れ て黒ずんでいた。最後の食材を買いに町におりるとき、私は頭部を断裁されたひまわ りの茎を見た。そして本当に山の夏が終わったことを理解したのだった。
毎夏を長野の山で過ごしてきた私にとって、夏の終わりは特別な意味をもっていた。 学校の宿題帳は7月中に完成させた私は、8月を全身全霊をかたむけた冒険の日々と した。その冒険は森のなかで、竹薮のなかで、ちいさな神社の落雷に裂かれた御神木 のもとで、一日中繰り広げられた。
都会育ちの私には、野山のすべてが驚きであり神秘そのものに思えたのだった。
苔むしる森の地表からたちのぼる湿った匂いに怯えながら、森の奥へと足をすすめた ときに発見した毒きのこ−それはいつか絵本で見た赤い笠に白い斑点のある毒きのこ だった。その発見は病的に私を興奮させた。そのきのこが私の手元にあったのは、実 はほんの数秒のことであった。そばにいた伯父の亮次が、すばやくきのこを取り上げ て遠くに放り投げてしまったからである。発狂寸前の私が泣き叫びながらどんなに探 してもついに見つけることはできなかった。
そのまぼろしのような発見は、のちの私の精神に重大な影響をおよぼした。
そのとき子どもだった私はカメラを持っていなかった。もし持っていたなら、その場 でその発見の感動をおさえながら、あのきのこを摘み取るまえに写真に撮ったであろ うか。
遠い昔の出来事なので、今ではそれがどこまで事実に近い記憶なのか不明である。 見た瞬間に、絵本のなかのきのことオ−バ−ラップしたのであったかもしれないし、 暑い陽射しをのがれて踏みいった森の気配に怯えた私の心が見せた幻影だったと考え ることもできるだろう。
その後いくどとなく訊ねても伯父の亮次は笑って答えてはくれず、そばにいた弟や妹 たちは憶えていないと言った。
現在では、その森はあとかたもなくなった。森の消えた跡には、すぐに建つ新建材の 家やアパ−トが無数にひしめいていた。伯父はすでに他界しており、あの森であのき のこを見た者は私ひとりである。
森の跡地の住宅街に続く道を、私の子どもたちが走っていた。そのうしろ姿はしだい に遠くなって視界から消えた。子どもたちはあの森を見たこともない−私はつぶやい た。やがて私も確実に死ぬのだ。私が死んでしまえば、あの森があったことを思い出 す者は誰もいないであろう。森は本当に消えてしまうのだ。そう考えてあたりを見渡 すと菜園に囲まれた家々が蜃気楼のように見えはじめた。
そして私は現実の光景に怯えた。かつて森の気配に怯えたように・・・


1996.07.20(川村法子)
Copyright(C) Noriko KAWAMURA 1996


川村法子のノート Index - DAIGA's Landscapes