「1月のカラス」

 人生は短く、ままならない。このあたらしい年も、すでに1月が無常にも終り、
残りは11ヵ月になってしまった。わたしは、このひと月の間なにをして生きていたのだろうか?ろくな記憶がないのにあきれている。まるで眠っていたかのようだ。本当に眠っていたのなら、少しは身体も心も癒されているだろうと思う。
 あるいはもっと若いときならば、そのまま眠りつづけて、隣の国の王子さまを待つという手もあった。しかし、もはや手遅れである。いつまでも大人になれない人間は社会から冷遇される。年令的に〈夢みる少女〉でいられないわたしも、社会から相応の罰を受けるであろう。けれども、瞬間に対する偏愛を捨てきれないわたしは、わたしの「時」を写真に封じこめている。

 1月のある日、わたしは死んだばかりのカラスを写真に撮った。カラスは、外傷も見受けられず、眠っているように無防備だった。不吉な思いにとらわれて、すぐに生きている子猫を何枚も写真におさめた。それから、駅へむかい、数人のホ−ムレスを見た。かれらの瞳は狡猾さにあふれているように思えた。かれらを疎んじている自分の心根は、限りなく卑しく貧しいものに感じられた。銀行のロビ−でグラフ雑誌を手にとると、グラビアはボスニアで殺戮された人々の死体の山だった。家に帰ると、新聞にフランスの核実験の記事が目に止まった。やがて夜になり、わたしは笑いながら子どもたちと入浴した。


川村法子 1996.02.03
Copyright(C) Noriko KAWAMURA 1996


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