「Made in W.-Germany」

 昨日から降り続けている雨は、私を憂欝な気分にしている。
 洗濯物は脱衣所に散乱していて、不快指数を向上させている。室内にはためく洗濯物は、あまりにも現実的で好きになれない。乾燥機でかわかすと、少し縮むような気がするし、乾くそばからたたむのも虚しい作業に感じられて、とにかく晴れるまでは洗濯するのはやめることにした。
 かわりにフライパンでも磨いてスッキリしようと妙な考えにとらわれた。ステンレス のフライパンを裏返すと、そこに刻印がみえた。
 【Made in W.-Germany】私はつぶやいた。そのとき衝撃が稲妻のように全身を貫いたので、私はフライパンを磨くという愚かな作業に身を投じることを踏み止まった。数分後、洗濯を放棄しフライパン磨きからも開放された私の手のなかには一冊の本があった。

 「荒れ野の40年−ヴァイツゼッカ−大統領演説(全文)」というこの本は岩波書店より、岩波ブックレットNO.55として、1986年に発行された。
 1984年7月に就任して以来のフォン・ヴァイツゼッカ−大統領の評価はきわめて高く、折りにふれての演説は多くの人の共感を集めているが、なかでも国の内外からもっとも注目され、感動をよんだのがこの演説であった。10年の間、この本は私の手元にあった。しかし、私は10年の間ほとんどこのことを忘れていたに等しい。いまさらのように読み進めてゆくと、演説文中に赤鉛筆のマ−クがあるのをみつけた。

 「人間は何をしかねないのか−これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。道徳に究極の完成はありえません−いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。」

 10年前に私はなにを思って、この部分をマ−クしたのだろうか。  はっきりと思い出すことはできないが、私は人間として危険に曝されつづけることに怯え、おそろしい未来を想像したのかもしれない。現在から10年後に、私が生きていたら再びみたびこのことを問うてみたい。
 十字架を背負い、いばらの冠をかぶせられ鞭うたれるキリスト受難の図は、ほかならぬ人間の宿命なのであろうか。もしそうだとするなら、鞭うつ人間と鞭うたれる人間に世界は別れてしまうのだろうか。
 このことは、いつも私の意識のかたすみにあって、しかもうまく言い表すことができない重要ななにかなので、将来とりためた写真で表現したいと考えている。
 言葉にならないなにか−そうしたことがとても大事に感じられる今日この頃である。


川村法子 1996.7.20
Copyright(C) Noriko KAWAMURA 1996


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